地球を愛する
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を何度も読み返した時期がありました。
20代の終わりの頃…
そこには、キッパリと「愛は技術」と書かれていました。
恋におちる…とか、ロマンチックな出逢い…とか、情熱的…とか…
自然にわきおこってくる感情が「愛」だと信じたがるが、「愛」は、知識と努力を必要とする技術なんだ、と…
例えば、陶芸家になりたい!
って思ったら、陶芸にまつわるすべてのことを考え、明けても暮れても努力し、土と対話し技術をみがく。
プロ野球選手とか、弁護士だとか、なりたいものになるための努力は人はおしみなくする…
なのに、「愛」はわきおこってくるものなのだから…
と感情そのままにしておいてしまいがち…
だけど、二人の愛の関係を持続させるのなら、まっとうな努力が必要なのではないか…
愛は与えること…
自分の生命力を与えること…
自分を犠牲にしてつくすことではない…
与えることで、必ず相手のなかに何かが生まれ、その生まれたものが、自分に返ってくる…
能動的な活動であり、受動的な感情ではない…
愛の本質は、なにかを育てることにある。
というような、内容が書かれてありました。(もっと、愛について、深く掘り下げ、洞察力も表現力も豊かに書かれています。興味のある方、旧約と新訳、両方読むのがおすすめ)
『人間が人間として、世界に対する人間の関係を人間的関係とみなせば、愛は愛とだけ、信頼は信頼とだけしか交換することができない。』
という、マルクスの言葉も書いてありました。(今、手元にこの本がないため、言葉を間違えていたら、ごめんなさい)
未曾有の災害を受けてしまった日本に暮らす私たちや、汚染されてしまった地球に暮らす世界中の人たちが、これから、ずっと地球で生きていきたかったら、どうしたらいいのか…
地球で生きたかったら、『地球を愛する』しかないのだと思う。
地球のこと、よく知って広く理解して、遠くのことも近くのことも観る目を養って、よりよく生きられるための努力を、まっとうな努力をする…しかないのだと思う。
最近、私がよく考えていることは…
「生きる」って、「暮らす」ってことかもしれない、ということ。
よりよく暮らせたら、よりよく生きられる。
きもちよく暮らせたら、きもちよく生きられる。
原発事故から今、私たちが突き付けられていることって、これからの、
暮らしをどうするのか…
っていうことのように思います。
地球を愛する、暮らしを愛する。
生命力をかけて。
すると、ゆるぎない愛が返ってくる。
愛で満たされる。
それは、人を愛することにつながる。
ゆるぎない、愛のベースになる、と思います。